◎信心を頂いておるだけで難儀を難儀と感じんですむおかげを頂きたい。
%1秋永由喜子さんの述懐。
%V


昭和四十三年九月二十八日夜の御理解


 %V信心を頂いておる人たちがよく言うことですけれども、こうしてお生かしのおかげを頂いておるということ、健康であるということだけで有難いと。どんなことがあっても健康で信心を頂いておる、お生かしのおかげを頂いておるという事実を思うただけでどのようなばあいでもありがたくなれれる。そういう信心を頂いたらたしかに有難いと思うですね。

 今日竹葉会が私四時の御祈念を終わってからちょっと参加させてもらうのですが、皆さんの信心が月々進んでおるというのを感じます。みんなそれぞれ素晴らしい話しを発表なさっておられますが、なかでも嘉朗さんの家内ゆきこさんですね、ゆきこさんが言うておるのを聞いてから感じました。

 %1信心のある人にもろうておったということ、そして自分も一緒に信心させて頂いておるということ、そのことが一番有難いと、あの人の場合本当にそれが実感ですね。ですから信心のある人にもろうてもろうたこと、そして自分も信心をしておることが有難い。それはさまざまに難儀なこと苦しいことつらいこともあるけれども、それを思うたらそれが消えるというた意味のことを話しておりましたがね。みんながよく言うことです。

 %Vお生かしのおかげを頂いておるということの事実、今月このように元気であるということだけで本当は一切の不平不足をいわなければならないような問題は、不平不足をいわんですむ、お生かしのおかげを頂いておるというだけでも有難いということでなければならんけれども、本当にゆきこさんがいうように、心因を頂いておるということ、信心のある人にもろうてもろうたということがありがたい、それを思うたら一切の難儀に感ずることも難儀に感じないという、それがあの人の実感ですから、本当に「あんたはそうであろう、そうじゃろう」とみんなが思う。

 私もそれを感じたんですけれどもね、お互いの信心が、頂いておる信心がどのように頂いておるであろうか。信心を頂いておるということだけで、一切の悩みとか難儀を感ずる時に、信心を頂いておるということだけで、難儀を難儀を感じんですむようなおかげを頂きたい。そういう信心を頂きたいと思うですね。どうぞ。